日々破戒して

YARE YARE というバンド、ラップをやっている

近況

なかなか書けなくて、ごめんなさい。

和歌山に来て作った音楽や、

写真はTwitterに上げてます。

 

 

 

 

あと一週間ほど滞在する予定です。

落ち着いたらまた書きたいと思いますので、

引き続き宜しくどうぞー!

 

千葉から和歌山へ

実家でワイワイやってると、ハードボイルドな文体が合わなくなってきてね、婦人雑誌の合間に挟まれる4コママンガみたいに愉快にやってます。美味しいご飯がでてきて、ピアノが好きなだけ弾けるし、いきなり腹筋に力を入れオペラ気取ったって誰も何も言わない。お風呂だって好きなときに入れる。これは天国だろうか?いや違う。世の中に永遠のものなどありはしない。盛者必衰の理。諸行無常。どういうことか。現在わたしは穀潰しということである。わが家が今存続しているのは父が(今は休みのほうが多いとはいえ)働き母が家事をしてくれるがためである。この奇跡的に恵まれた環境がいつまでも続くと思わず、かといって無駄に深刻な顔もせず陽陽と生きていくことが求められる。

 

私はいま新宿にいる。新宿の「バスタ」というところにいる。映画館の名前のようだが、バスターミナル、の略称らしい。バスの発車まであと1時間の余裕がある。サンドイッチを食べ、カフェ・ラテを飲んでいる。いい身分だ。大学卒業を控えた前途有望な女子大生が飛行機で欧州に行く前にちょっと一休み。そんなイメージだ。実際の私は無職だ。ホンモノの無職。無職とはなんなのか?職業がないということだ。昨日、市役所で転入届を出した。「職業欄を記入して下さい」と言われ、

 

「今、引っ越して、仕事が無いのですが、無職で?」

 

「はい大丈夫です」

 

無職、と記入した。この期に及んで恥じらいを見せてしまった。あたかも今無職であることはちょっとした事故で、すぐさま仕事を得る目処が立っているかのように。まあいいか。アルバイトはするつもりだし。あまり無職無職いってネタにするのも、不快に思われる方もいるやもしれない。やめよう。音楽家と言いたいのは山々だが、殆ど全く稼いでいない。配信サービス等で、月に「2円」(本当に2円なのだ。1円だったかもしれない)ほどの利益が出ているのみだ。あとはライブの投げ銭のおこぼれで、1000円ほど頂いたことがある。笑いの種にするつもりはないし、同情してもらいたいわけでもない。これからお金を生んでいけばいいのだ。悲観的な気持ちはないよ。

 

私が今バスタにいるのは、言うまでもない、旅行に行くためだ。友人が誘ってくれ、和歌山県の山里に、梅獲りや作曲などをするため2週間ほど滞在する。楽しみだ。それについてはまた明日。バイバイー!

 

東京から千葉へ

それらはダンボールの中にその場しのぎ的に押し込められ、トラックの荷台に父の職人的積荷技術によってスキマなく詰め込まれた。東京の端から神奈川を抜け、アクアラインを渡った後はるばる房総に到着し、今は我が家の縁側の前にうず高く積み上げられている。発展途上国と、日本の家のモノを洗いざらし外に出し、その量を比較する写真を見たことがあるが、僕は典型的日本人なんだと判明した。明日から荷解きをしなければいけない。はっきり言ってうんざりする。面倒なことを後回しにすると、こういうことになる。父の腰にも多大な負担がかかったことと思う。明日は朝から仕事だと聞き、さすがに申し訳ない気持ちになる。「ハカマタ運送安いよ」父は優しい。

 

荷物を降ろし終わると、レンタカー屋に軽トラックを返しに行った。車の中のラジオでは、安達祐実の子役時代の名ゼリフが紹介されていた。「同情するなら金をくれ」久しぶりに地元の風景を眺める。なんてことのない田舎町だ。女子高校生がマクドナルドの前にたむろしている。この近くに僕の母校がある。十年前僕はここに通うち神経症になり、ほぼ毎日遅刻をし這う這うの体ながらも、なんとか卒業した。精神的には最低でも、友達は多かったように思う。大学に行けば変わる、なんて。「お前の心のせいなんじゃない?」父はいう。もちろんそうだ。僕が少しずつそのことを自覚し、『治って』行ったのは、二十歳を過ぎ、コンビニでアルバイトをしていた時だ。それまで僕は何も感じない無感覚の中でただ不安に包まれ、息をするのでやっとだった。

 

閉店間際のレンタカー屋でトラックを引き渡し、ありがとうございました、やっと終わった、さあ帰ろうというところで父が異変に気づいた。

 

「お前鍵持ってない?」

 

僕はポケットをまさぐる。

「ないなあ」

 

出てきたのはくしゃくしゃの包装紙だけだ。

 

「お前さっき鍵わたしたじゃん!」  

 

どうやら先ほど受け取った家のカギに自家用車のカギも一緒になっていて、それを僕が家の玄関に置いてきたがため、トラックを返したはいいが、家に帰る手段がないらしい。レンタカー屋の人と相談し、今日のところは軽トラックでうちに帰り(閉店時間は既に過ぎていた)、明日の朝カギを持ってまた来ることになった(延長料金1500円)が、発進してすぐに父が「 あっ!」

と大きい声を上げた。

 

「どうした」

「おれ明日会社なんだ。なんとしても車持って帰るしかねえ」

 

というわけで引き返し、再びレンタカーに行くと、店員さんは車を並べ何かのチェックをしている。「俺明日会社だから明日朝来れねえや」と父が言うと、その軽トラで一度家に帰り、鍵を取ってきて良いという。その間の料金も支払わなくてよいのだと。

 

「最初からそう言ってくれよな」

「ほんとにな」

 

家に戻り鍵をとり、再々度レンタカー屋に行って、すみませんでした、と二人で謝る。ようやく事なきを得た。鍵を置いてきたわたしも問題だが、出発時に確認しない父も父だ。疲れているのだろうか。忘れっぽい家族なのかもしれない。引っ越しの前、僕は家のカギを2回、バイクのカギを2回なくし、バイクのカギはいまだに見つからず、今は運転ができない状況にある。とにもかくにもどたばたの中ではあったが、引っ越しはこれにて完了した。うちに入ると母が沖縄そばを作ってくれた。泡盛を飲み、ピアノや三線を弾いて四方山話をしているとあっという間に時間は過ぎ、深夜3時頃寝た。

 

ねむいね、引っ越し

 

8:00 起床

 

いよいよ今日が引越し。部屋はダンボールが押し詰められ、滅茶苦茶。机のしたに足を入れる形で昨夜は寝た。

 

昨夜、どうしても見たかったイベントを見に行き、酒を三杯飲み、ステーキ(家で焼いた)を食い、全てを吐いた。黒ずんだピーマンを一緒に炒めたせいだろうか?

頭がぐらぐらしている。おまけに眠い。不快だ。全て自分のせいだ。

 

ツイッターで見た「時々無性にアメリカをやりたくなる」画像、ポテトとステーキ、コーラが脳裏に浮かび離れなくなり、近所のコンビニに買いに行く。家に帰りポテトとコーラを疲弊した胃にぶち込みながらこれを書いている。

 

一体なんのためにブログを書いているのか。誰も興味などあるはずがない。そんなことわかってる。

 

そんなことはどうでもいい。俺は荷造りをしないと行けない。あと2時間するとここに父親がやってくる。それまでになんとか体裁を整えなくては。いくらなんでも荷造りまで親にやってもらうのはあんまりだ。というわけで一旦ブログはやめる。ねむい。

 

 

カップ麺に湯を入れて待つ間にブログを書く。もはや中毒なのか?「おおさまの耳はロバの耳」と叫ぶ穴のような感じ。俺がここにつぶやく内容はだいたい決まっている。俺はスゴイだろ。ということだ。ある意味正統的なラッパーだといえるかもしれない。

 

ダンボールに荷物を詰めていると、だんだんとイライラしてきた。なぜこんなにも物が多いのか?なぜ引越しまでの間に処分しなかったのか。イライラの原因のほとんどは寝不足が原因だ。よくない。体調管理大事。当たり前。

 

 

 

 

午後九時前、引っ越し完了。疲れた。荷物、必要のないガラクタが多く、父が運んでくれたトラックに載せるのに、4時間かかった。それなりに荷造りしたつもりだったが、次から次へとモノがでてきた。使っていないじゅうたんやら蛍光灯のカバー、など不用品が殆どな気がする。

 

(続く)

 

 

流行りの音、高木正勝、ねがい

13:30起床。

まずブログの画面を開く。最近の日課になってしまった。

昨日のことを振り返る。昨日はブログを書いた後、Macで曲の編集をした。

一昨年の暮れ頃に作った曲で、自分で撮影した映像も組み合わせている。

ボリューム的には「ウミベの虚無僧」以来の曲になる。いろいろなアレンジを試すもなかなか全体像が見えてこず、苦労していたが、ようやく終わりが見えてきた。

 

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新しい音楽の要素を取り言えることで、なぜかうまく行くようになった。流行りとはなんなのか最近考えるが、時宜変化する共通言語のようなものではないかと思うようになった。

 

この曲が完成すれば、YARE YAREに対する評価も変わるだろう。

3時間ほど集中して作業をすると、鬱は無くなっていた 。

 

今日がこの家で眠る最後の日になる。もはや特別な感興も湧かない。実家に帰ったら朝数時間だけのシフトを組めるバイトを探す。朝起きてバイトをして帰ったら曲作り&編集をするルーティンを作る。経験上、ルーティンを作るのが、もっとも効率的に作業が進むのがわかっている。どんどん曲をアップしていく。機は熟した感がある。アイデアは無数にある。徹底的にやる。風穴をあける。シーンをひっくり返す。新世界の神になる。

 

 

とはいっても、実家に着き、三日ほどすると、ひとまず田舎の里山にバイトをしに行くことが決まっている。友人が誘ってくれたのだが、その旅程に合わせる形で施設のバイトを急遽やめ、引越しをすることにしたのだった。

里山への憧れはある時期からある迫力を持ってわたしの脳内でくんくんと成長していった。そのきっかけはこの人であった。

 

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強く願えば願いは叶うという。一笑にふすことも可能であるが、説得力を持ち始めているのだ。

 

 

子供と関わる仕事がしたい、

カウンセラーの仕事がしたい、

彼女が欲しい、里山に住みたい

 

(わたしがもっていた成就したねがい)

 

子供と関わる仕事がしたいと、思っていたら引越し先のわずか数分の場所に児童施設がった。

カウンセラーへの欲望は、「占いをする」という形でかなった。(満足した)

彼女は同居した友人が連れてきてくれた。(振られた)

そしてもうすぐ、里山体験ができる。

 

それほど強い願望はもう残っていない。あとは音楽家になることが願いである。

最近思うのであるが、周囲にそう漏らしながら、僕は本当の意味で表現者になることを避けていたのだ。覚悟ができていなかった。

 

元はと言えば騒音苦情が流れの大元なのだが、結果的にもっとも音楽に集中できるようになる。ピンチはチャンスかもしれないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うつ、ビル・エヴァンス

おはよう!

 

昨日の夕方頃よりじわじわと心を蝕みはじめたこの懐かしい感触、、、

言うのも憚れるが、「鬱」だ。

 

実家にいたころ、よく同じ気分になった。

 

社会的な居場所を与えられていないと、不安がたかまり、この状態になる。何もする気が起きない。引越しが明後日だが、部屋は乱雑に散らかったままだ。

 

せめてブログを書く。無理やり体を動かし、体制に入ってしまえば、その間は不安を忘れられる。手を動かすしかないのだ。

 

 

 

先日同じく無職の従兄弟に、スナックに連れて行ってもらった。

彼はこの店の常連らしい。

「働いていないと、おかしくならない?」と聞くと、

 

「それはないかな」と答える。

 

「すげえな。全然無職感ないもんな」

 

無職の従兄弟はカウンターの中で手伝いをしている。食器を洗いながら飄々と答える。

 

「じゃあ、承認欲求とか、どうやって満たすの」

 

「俺の場合、母親かな」

 

「!」

 

「あんたはあんたの好きなように生きなさいって、言われたから。周りとか気にしないで」

 

 

なるほど、と思った。

僕は一週間師事したマスターに言われたことを思い出す。

 

 

「お前は、望まれていない子なんだよ。」

 

「はい」

 

「お前の歌は、「生きていていいんですか」って、言ってるだけだ」

 

「はい」

 

「いいんだよ。生きてて。」

 

 

 

Bill Evans を聴いている。二十歳すぎごろからちょくちょく聴いているが、歳をとるつにつれて音が体に染み込むようになってきた。僕は彼のような、音そのものの音楽家ではない。音と言葉だ。音と言葉で、時代そのものを映し出す鏡を作ること。それが僕のやりたいことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

無職1日目、さよなら

「実録、無職日記」を書いているようなタイトルで書き出してまった。( 味気ないので、「さよなら」を足した)

いつも完全にその場だけの日記を書いている気がする。

前後のつながりがない。

 

無職、無職と言っているが、2週間の短期バイトだけ決まっている。

それが始まるまでは完全な無職だ。

 

 

 

朝、泣いている夢を見て起きた。

夢のなかでいろいろな人に僕はさよならをしていた。

 

 

 

昨日で2年間アルバイトの職員として勤めた福祉児童施設を退職した。

児童と会えなくなることが、ここまで辛いとは思わなかった。「はたまかさ〜ん!」と満面の笑みで話しかけてくる児童の顔をまともに直視すると涙腺が崩壊しそうになる。さすがにいい歳なので思いの丈をぶちまけ泣き喚くわけにはいかず、どうしても堪えられない時はトイレに入ってこっそり泣き、「夏にはボランティアとしてくる」と自分に言い聞かせ、また会えるということにし仕事に戻った。

 

家に帰り、いただいた寄せ書きなどを見た。児童と会えなくなるだけでなく、会社にもういけなくなり、職員の方々と会えなくなるのも寂しい。どこかの組織から離れることを、ここまで辛く感じたことはなかった。ファンキーで面白い人ばかりであった。本当にお世話になった。

 

今住んでいる(三日後に引き払う)アパートの前も、施設のすぐ近くに住んでいた。この周辺地域が好きだった。だから施設に自転車を使えば数分でいけるこのアパートを選んだ。東京とは思えないほど、緑がたくさん、というとばからしいが、川があり、植物がたくさん生い茂っている。児童の手をつなぎ、川沿いや、緑に囲まれた細道を歩くととてもしあわせな気分になれた。

 

 

 

 

だがもう、次のことを考えなければいけない。

改めて僕にできることは歌を作ることしかないと思う。哀れに藁をも掴んでいる状況に見えるだろうし、実際にそうだと思う。僕はそうなることを選んだのだ。