日々破戒して

YARE YARE というバンド、ラップをやっている

東京から千葉へ

それらはダンボールの中にその場しのぎ的に押し込められ、トラックの荷台に父の職人的積荷技術によってスキマなく詰め込まれた。東京の端から神奈川を抜け、アクアラインを渡った後はるばる房総に到着し、今は我が家の縁側の前にうず高く積み上げられている。発展途上国と、日本の家のモノを洗いざらし外に出し、その量を比較する写真を見たことがあるが、僕は典型的日本人なんだと判明した。明日から荷解きをしなければいけない。はっきり言ってうんざりする。面倒なことを後回しにすると、こういうことになる。父の腰にも多大な負担がかかったことと思う。明日は朝から仕事だと聞き、さすがに申し訳ない気持ちになる。「ハカマタ運送安いよ」父は優しい。

 

荷物を降ろし終わると、レンタカー屋に軽トラックを返しに行った。車の中のラジオでは、安達祐実の子役時代の名ゼリフが紹介されていた。「同情するなら金をくれ」久しぶりに地元の風景を眺める。なんてことのない田舎町だ。女子高校生がマクドナルドの前にたむろしている。この近くに僕の母校がある。十年前僕はここに通うち神経症になり、ほぼ毎日遅刻をし這う這うの体ながらも、なんとか卒業した。精神的には最低でも、友達は多かったように思う。大学に行けば変わる、なんて。「お前の心のせいなんじゃない?」父はいう。もちろんそうだ。僕が少しずつそのことを自覚し、『治って』行ったのは、二十歳を過ぎ、コンビニでアルバイトをしていた時だ。それまで僕は何も感じない無感覚の中でただ不安に包まれ、息をするのでやっとだった。

 

閉店間際のレンタカー屋でトラックを引き渡し、ありがとうございました、やっと終わった、さあ帰ろうというところで父が異変に気づいた。

 

「お前鍵持ってない?」

 

僕はポケットをまさぐる。

「ないなあ」

 

出てきたのはくしゃくしゃの包装紙だけだ。

 

「お前さっき鍵わたしたじゃん!」  

 

どうやら先ほど受け取った家のカギに自家用車のカギも一緒になっていて、それを僕が家の玄関に置いてきたがため、トラックを返したはいいが、家に帰る手段がないらしい。レンタカー屋の人と相談し、今日のところは軽トラックでうちに帰り(閉店時間は既に過ぎていた)、明日の朝カギを持ってまた来ることになった(延長料金1500円)が、発進してすぐに父が「 あっ!」

と大きい声を上げた。

 

「どうした」

「おれ明日会社なんだ。なんとしても車持って帰るしかねえ」

 

というわけで引き返し、再びレンタカーに行くと、店員さんは車を並べ何かのチェックをしている。「俺明日会社だから明日朝来れねえや」と父が言うと、その軽トラで一度家に帰り、鍵を取ってきて良いという。その間の料金も支払わなくてよいのだと。

 

「最初からそう言ってくれよな」

「ほんとにな」

 

家に戻り鍵をとり、再々度レンタカー屋に行って、すみませんでした、と二人で謝る。ようやく事なきを得た。鍵を置いてきたわたしも問題だが、出発時に確認しない父も父だ。疲れているのだろうか。忘れっぽい家族なのかもしれない。引っ越しの前、僕は家のカギを2回、バイクのカギを2回なくし、バイクのカギはいまだに見つからず、今は運転ができない状況にある。とにもかくにもどたばたの中ではあったが、引っ越しはこれにて完了した。うちに入ると母が沖縄そばを作ってくれた。泡盛を飲み、ピアノや三線を弾いて四方山話をしているとあっという間に時間は過ぎ、深夜3時頃寝た。