日々破戒して

YARE YARE というバンド、ラップをやっている

雨が降っている。今年は雨が少なく、例年に比べ不作らしい。2週間強の滞在で、雨が降ったのは今日で2日目だ。雨が降ると実が大きくなる。基本的に実は大きければ大きいほど良い。今まで農作業に関わることも、考えることも無かったので、当たり前のことが新鮮に感じる。天候と自分が口にするものが連動している。

 

借りている空き家の瓦屋根に雨が休みなく打ち続け、パタパタパタパタと音がしている。3日ほど前ここに来た時は、古い日本の記憶がそのまま残ったかのような家の作りや道具、空気に圧倒されたが、あっという間に慣れてしまった。今朝、パンを食べコーヒーを飲んだあと、皆が羊を放牧するに適しているかどうかを見に畑を行ってしまい、暇を持て余しブログを書いている。(羊は一頭あたり10万円ほど。雑草を食べてくれることを期待してとのこと。)次々と新しい人がやって来ては帰ってゆき、働いては遊びの毎日の中で、落ち着いた時間を中々取れなかったが、ようやく一息つくことが出来た。

 

丘の上に建つ家なので、見晴らしが良い。眼下に見える小川の向こうではまばらに家屋が並び、その後ろに杉の木がこんもりと茂り靄のかかる山々が隆々と連なっている。和歌山の山は高く、壮大な感じがする。日本というよりはどこか外国に来たかのような気持ちになることがしばしばある。山だけでなく海も、岩がやたらと大きかったりする。「日本の自然」と言っても、自分が知らない領域がたくさんあるのだ。西洋的であると思っていたイメージが、すぐ近くにあった。

 

だとすれば、日本性を表現したいと思うことに、どれだけの意味があるのだろうか。それれは自分が作った浅いイメージに拘泥するだけのことかもしれない。

 

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和歌山に来てからの毎日は、今まで自分が経験したくて出来なかったことをすべて2週間に凝縮したかのような、濃密な日々であった。同年代の人と色々な話をしたり遊び騒ぐこと、自然の中で働くこと、地下スタジオではなく生活環境の一部の寺の中で音楽を奏でること。

 

一昨日のお寺での音楽会は、今回の滞在を総括するかのような、素晴らしい体験だった。リハーサルで木魚とおりんを鳴らすと、音に反応するかのように庭で遊んでいた子どもたちが鐘楼を鳴らした。橦木(鐘を鳴らす棒のこと)から垂れたヒモに子供が2、3人ターザンみたいにぶら下がり勢いをつけ撞く。ごーーーんと大きな音がし、周囲の山に反響する。山からは虫の声、田んぼからはカエルの声が聞こえてくる。音楽が周囲の空気と溶け合い、村に響く。本番が始まる前から、僕はずっとこういうことがしたかったんだと思うと、じんわりと胸が暖かくなり、うっすら涙が出た。